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SNS時代ど真ん中、”アンチコメント”の見方を変えたら、どんな言葉も気にならなくなった話。

最近ビジネスシーンでも不可欠になってきたSNS。

実は私もお仕事上で、SNSに触れることが多々あります。

もちろんプライベートでもSNSをやっていますが、プライベートのアカウントはお仕事の時のようにマーケット調査やその他リサーチなんかはせずに、ただ自分の思うままの発信をしているので、リアルに近いコミュニケーションなのかなと思います。

でも、お仕事で使うSNSアカウントは、フォロワーの桁がプライベートよりも200倍~300倍くらい違うので、(プライベートのアカウントは200フォロワーいかないくらいです♡)色んなコメントを見たり、いろんなコンテンツをリサーチしていて日々感じることがあります。

それは、SNSにアンチコメントをしている人の「人間的性質に偏りがある」ということです。

炎上動画にわざわざコメントを書いたり、聞いてもいないのに自分の中にある正義を振りかざす人、はたまたプロでもないのに動画の一部分だけの情報で指摘を繰り返す人、投稿主が質問に対して答えているのにも関わらず、「こうやってやるんですよ」と聞かれてる本人でもないのに教える人。

親切心なのか、自己顕示欲なのか・・・色んな人がいますが、リアルの世界でこのようなコメントをしている人って思えば、見かけないよな~と思ったんです(‘_’)

もちろん、「これいいよね~」「それ素敵だね!」みたいなリアルな交友関係でも使うような言葉をコメントする人だったり、SNSにおいて徐々にコミュニケーションを図る人は、私から見ると正常だなとも思います。

一方でニュースとかでもSNSのコメントを参考にした報道が流れていて、あたかも世論かのように取り扱われていますが、これって声のデカい人たちの意見を、テレビがテーマに合わせて使いやすいように編集してるだけだし、冷静に考えてみると世論ではないのです。

そもそもリアルの生活が充実している人、忙しい人はSNSを見ていないので、SNSの効果は絶大ではあるものの、SNSならではの考え方や捉え方に偏りがあることがわかります。

つまり、コメントっていうのは、そのコンテンツを運用する上で重要なカスタマー情報であって、多数決の意見ではないですよね~(‘_’)ってことに薄々気づいてきました。

SNSや掲示板にアンチコメントを書いてる人はどんな人間なのか

毎日数百もあるコメントを眺めていた時に「SNSが無かった時代を思い出してみると、リアルの知り合いでわざわざ悪口を吹っかけてくる人っているかな?」っていう疑問を感じました。

そうなんです。

実社会で出会う人は、わざわざ相手が不快に思う様なコンプレックスを取り上げたり、揚げ足を取るようなことってしないんですよ。

実社会でそれをやってしまうと、ただの性格悪い人だし、精神が未熟者とみなされてしまうので、普通はみんな相手との関係値にバランスを取りに行くんです。

それに気づいてから、もしかしてアンチのコメントは、「あなたのためを思って」ではなく、シンプルに性格悪い・・あッ違った。

シンプルに相手よりも優位に立ちたい、言い負かしたい欲が強いだけの人間であって、どんな言い方が人を不快にして、傷つけるのか教えてもらってきていない未成熟な人なのかも。

そう思い始めてから何も気にすることはないなと思うようになってきました。

リアルの生活に置き換えてみた時に、未熟者にわざわざアンチ的言葉を吹っかけられて、気にするかな?って思った時に私全然気にしないなと。

リアルで人間関係を構築するのが苦手な人であればあるほど、SNS上で心の中の汚い部分が表に出てくるプラットフォーム化としてしまう。

捨て垢の数って、その人の心の闇の度合いと比例しているような気がします。

あとアンチコメントされた側がそのコメントを気にするのって、言われるのが嫌なのではなくてコンテンツの成長が邪魔されたり、商業的に被害が出るから、コンテンツ運用者は恐れてしまうんじゃないかなって思います。

それをアンチコメントしている人は、自分の発言が戦闘能力高いと勘違いしてしまって歯止めがどんどん効かなくなってきて、最終的には開示請求されて終わるんですよね‥。

考えてみれば世の中は自分の思うことをすべて言える人の方が少ない

でもこれって、考えてみれば世の中は自分の思うことをすべて言える人の方が少なくて、リアルの生活で人とぶつかれる人の方が少なくて、遠くからしか石を投げれない人の方が多いんだろうな~とも思います。

でも、その人たちが実社会で言いたいことも言えずに一番傷ついてきて、自分の中に鬱憤をためてしんどかったはずなのに、実社会で自分がされてきたことをSNSで)やってるんだ~って考えると何とも悲しい気持ちになったりします。

アンチコメントって、どこからがアンチコメントか定義が難しいですが、言わなくていいことを文字なら言えてしまうその人間性が、その人たちの人生を窮屈にしてしまっているのだと思うと、人はやっぱり性悪説の中に生きているんだなと個人的に思います。

性悪説ってみなさん知っていますか?

人間の生まれた時は悪であるという考え方で、生まれてから善をたくさん知ることで成熟していくという考え方なんですけど、生まれてから善を教えてもらっていない人は、人を傷つけるような悪になってしまうんです。

もっと言うと、人は生まれた時に善にも悪にもなりうる両方の要素を持っているので、幼少期に善を教えてもらわないと、悪のまま大人になってしまいます。

善になるための努力、意識をすることで善の状態を維持することができるみたいなので、アンチコメントをする人は善をまだまだ積んでいない未熟者、ということがわかります。

性善説を否定するわけではないですが、人は未熟だから規制や法律があるものだと私は思っていて、規制がおいついていないデジタル社会では、人の悪の部分が露呈しているように感じます。

だからアンチコメントを見かけても、「あぁこの人はまだ善を教わっていない未成熟な人なんだ」と視点を変えると、全然気にならなくなりましたよ、というお話でした。

それではまた次回の更新で!

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